対人恐怖症で視線恐怖症な自分が改めて気がついたこと
こんにちは、
ふく です。
先日、チャリンコ(ママチャリ)のムサシ号にのって、
大きめの公園に行ってきました。
ちなみに自分は最近、サイクリングにハマっています。
…とは言っても、愛車はママチャリですけどね。
けど、ムサシと名付けて、冒険に出かけています ←
まぁそんな話はさておき。
大きめの公園へ行ったことで、
・対人恐怖症
・視線恐怖症
である自分について、改めて気づいたこと
があったので、
今日はそれを話してみようと思います。
人が多すぎても、少なくても苦痛
その日は平日でしたので、
行ってきた公園は閑散としてたんですね。
たとえば都内の大きな公園、
代々木公園とかなんかは平日でも人がいたりしますが、
ここは北関東。
いるのはお散歩にきているおじぃちゃん、おばぁちゃんに、
小さな子どもを連れたお母さん、
とかだけでした。
広い敷地ですので、ポツン、ポツンとしか
人がいないかんじ。
自分は、
・対人恐怖症
・視線恐怖症
なので、
人がいないに こしたことはないんですが、
ふと気づいたんですよね。
「人がいなさすぎても、
それはそれで気まずいな。」
ということ。
【こんなイメージ ↓↓ 】
たとえば、
人が『まったくいない』のであれば、
それはもう、
どう動こうが、どこを眺めてようが、キョロキョロしてようが、
自由です。
なので楽なのです。
ですが、
『人っこひとり、いない』
という状況ではなく、
『人がポツン、ポツンといる』
という状況だと、
注目する対象が少ないため、
ひとりひとりに注意が向きやすい
ことになります。
(再度、こちら ↓↓)
それならばむしろ、ある程度人がいたほうが、
ひとりひとりに注目する(される)ことは
少なくなるので、
自分としては心理的に楽です。
人が何人かいればいるほど
注目する対象がいっぱいあり、
結果的に、
『どのひとりひとりにも、あまり注目しない』
という状態になるからです。
※載せてから思いましたが、
この図だとすこし人が多いですね。
もうすこし、少ないほうが良いです。
人が程よくいれば、
その分、注意は分散されるので、
ひとりあたりに対する注意度は低くなる、
というかんじです。
もう一度、人が少ないときのことを考えてみましょう。
『人がポツン、ポツンといる状態』
だと、
注目する対象が少ないため、
その分、ひとりひとりに注意が向きやすい
ことになります。
(再度、こちら↓)
想像してみてください。
多くの人とすれ違ったら、
そのひとりひとりに対して、注目はしませんよね?
でも、たったひとりの人とすれ違ったとなれば、
その人に少なからず注目して、意識が向きますよね?
そんなイメージです。
なので、視線恐怖症、対人恐怖症の自分としては、
人が、
・多すぎても、
・少なすぎても、
イヤだ!
人がいないなら、
・人っこひとりいない
人がいるなら、
・多すぎず、ほどよく人がいる
そういう状態が好ましい。
(ドヤァ)
(ワガママなの?←)
そういえば、カフェとかに入ったときもそうでした。
(最近はカフェなどに入ることも
少なくなりましたが。)
人が少なすぎると、
店員さんが自分に注目する割合は、
必然的に多くなりますよね?
まぁ店員さんも仕事ですから、
人が多かろうが少なかろうが
お客さんに目を配っているのは間違いないですけども。
こんなかんじですよ。↓ ↓
・人が多ければ、
ひとりひとりに注意がいく割合は
小さくなる
※1人あたり、10しか注意を向けられない。
・人が少なければ、
その分、ひとりひとりに
注意を向けられる割合は多くなる
※1人あたり、30も!注意を向けられる。
こんなふうに、
人が多すぎても疲れるけど、
少なすぎると店員さんから注目される割合が
多くなるので、
それはそれでキツイ。
そんなふうに感じていました。
まとめ
自分が、人のいるところに出向くときは、
・多すぎず
・少なすぎず、
程よく人がいることが望ましい!
あるいは、
人っこひとりいない!
と、良い!
と感じやした〜。
まぁ、
いまでは以前ほど外出することは減ったので、
そこまでストレスは感じていません。
以前は、対人恐怖症、視線恐怖症のくせに
やたらと人がいるところに出まくっていたので、
自分の中でパンクしたのだと思います。
自分の気質を自覚し、
バランスとりながら生きていければいいなぁ〜
と改めて思う、今日この頃なのです〜。
ではでは、
そんなかんじです。
ふく でした〜!