両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

人生が自然であるということ

こんにちは!
ふくです。

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自分の人生が、自分にとって自然である
って、どういう状態のことを指すんでしょう?

「…なんのこっちゃ?」
ってかんじかもしれませんが、
結論をいいますと。


・自分のもっているエネルギーを、
   変に分散させて疲れてしまうのではなく、
   注ぐ場所をきちんと絞れていること


・それによって、小さくとも成果が上がり、

   充実感を得られていること
 (きちんと報われること)


こういうことじゃないかな、と感じています。


自分のことを例にして、話してみますね。
 

 
 
私が「自分の人生が自然だ」と感じていたころ

 小学生のころの私は、
コツコツと目の前の課題をこなす、

頑張り屋さんだった。(自分でw)


(でも別に、飛び抜けて、優秀だったわけでもない。
   地頭がよいタイプなら、いま、
   挫折し、苦労はしていないだろう。)


で、
小学生のころの私がうまくいっていた理由は、
エネルギーが、分散していなかったから
だなぁ、と。

 


私は、もともとエネルギーが少ないタイプ。


小学生のころの私は、わりとひとり行動だった。
(その時々で、最低限の友人はいたが。)


ひとりでコツコツと
目の前の課題に没頭するタイプだった。


人とコミュニケーションをとることで
自分のエネルギーを使うのではなく、
自分の持っているエネルギーすべてを
目の前の課題に費やしていた。


(でも、特にガリ勉とかではなかった。
   勉強は好きでもなかったが、
   嫌いでもなかった。
   できると、それなりに楽しかった。)

 


だから、少ないエネルギーでも、
勉強や運動など、さまざまなタイプの課題を
こなすことができたのだと思う。

 


もし、私が友だちとのおしゃべりにも
エネルギーを費やすタイプだったなら、
運動も勉強も、できたか分からない。

 


・友だちとのコミュニケーションにエネルギーを使う
・目の前の課題にエネルギーを使う


どちらがいい、というわけでもないけど、


(というか、多くの人は、両方使っているだろう。)


たまたま私は、


友だちとのコミュニケーション
  目の前の課題、自分の興味があること


エネルギー分配が上記のようだったので、
・「頭がいい!」
・「運動もできるね!」
となったのだと思う。


私が持っているキャパシティなんて
たかだか知れていて、
エネルギーの注ぎ場所を絞っていたからこそ、
成果が出せたのだと、改めて最近、感じる。


そして、私は、
小学生のころの自分が、
「一番自分らしくて、人生が自然であった」
と感じている。
 

 
 
なぜ、そのころは、自分らしくて人生が自然だったのか?
 

「小学生のころは、大人になった今より、
   課題が簡単だから、そう感じるのだろww」


そう思ったりもしたが、
小学生のころだって、その時なりに、
等身大の障壁や悩みがあったはずだ。


それにも関わらず、私は、
「そのときの自分は、人生が自然だった」
と感じている。


なぜか?


自分のエネルギーの注ぎ場所を絞っていたから


これだと思う。

 


変にエネルギーを分散させて、
疲れてしまう、ということがなく、
エネルギーの注ぎ場所を絞っていて、
成果をコツコツと出すことができた。


だから、あのころの自分は、
人生が自然だったんだと感じている。


つまり、


・エネルギーの注ぎ場所を絞っていた
(分散していなかった)


・それゆえに、
   コツコツと成果を出すことができ、
   充実感があった
(きちんと、報われていた)


⇒だから、
「自分の人生が自然である」
   と感じることができていた。


(当時、そう感じていたのではなく、
   いま思い返すと、そうである、ということ。)
 

 
 
エネルギーの分散は不幸を招く
 

すこし前までの自分は、正直、
エネルギーが分散してしまっていたのだ。


もともと不慣れな、
人とのコミュニケーションばかりに
気をとられてしまい、
注ぐべきエネルギーを、
目の前の課題に注ぐことができていなかった。


だから、もちろん、成果も出るはずがなく。


失敗し、
自分はダメなやつだ…
と落ち込む結果になってしまい、
悪循環に陥っていた。

 


すこし前に、これに気がつくことができ、
エネルギーの分散をやめて、
目の前の課題に没頭する生活を、
いまは送っている。


そうすると、すこしずつだが、
成果が現れてきた!


正しい努力をすれば、
   大なり小なり、成果は出るものだ
と実体験している。

 


具体的に、いま没頭している課題は、
・筋トレ
・勉強(登録販売者)

 


すこしずつだが、


・昨日の自分より、
・一週間前の自分より、
・一ヶ月前の自分より、
・数ヶ月前の自分より、


成長を感じられていて、とても充実感がある。

 


「変わる」
「成長する」
を実感するには、まず、


エネルギーを注ぐ場所を絞り、
   小さいながらも成果を出していくこと


これだと、身をもって実感できた。
 

 
 
比べるのは他者でなく
 

また、このときに地味に重要なのは、
他者と比べないこと。


例えば、
私がいま注力している課題に、「筋トレ」があるが、
すこし検索をかければ、世の中には、
美ボディー、マッチョな人は、ゴロゴロいるだろう。


こういう人たちと、自分を比べないことだ。


比べるのは、過去の自分と」、である。


他者と比べるのではなく、
あくまで比べるのは、過去の自分と。


これを徹底すると、
成長がきちんと感じられて、いい!
 

 
 
まとめ
 

以上、
「自分の人生が自然であることとは?」
と、
「成長、変わること」
について、考えてみました。


これからも、変にエネルギー分散しないで、
目の前のことをがんばろう。
 

 

以上、
ふくでした〜。
 

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依存ではなく、一時的に力を借りる

こんにちは!
ふくです。

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今日は、


何かの力を"一時的に"借りて、
   それでパフォーマンスが良くなるなら、
   有意義だよね!


ということを、実体感したので、
それについて話してみます。

 

薬の力を借りる

最近、寝つきや睡眠の質がよくないので、
薬を飲むようになった


元々の、ことの発端は、
筋トレをするようになったから。


夜、よく眠れないと、
翌日のパフォーマンスが下がるのだ。


いくら一生懸命、筋トレをやっても、
睡眠の質が悪いために、
筋肉がうまく成長してくれなかったら、
もったいない!


そう感じて、
夜の寝つきをよくしたかった。


なので、
「飲まないと眠れない」
というよりは、


薬の力を借りることで、
   翌日のパフォーマンスが良くなるなら、
   力を借りようかな


と感じて、飲むようになったかんじだ。

 


そのために飲み始めたのが、
精神安定剤のような薬。


心身の動きを沈静化するような薬なので、
うつのほかにも、睡眠導入剤としても
飲まれる薬だ。

 


そして、この薬を飲み始めたら、
心のなかにわずかにあった攻撃的な気持ちが、
和らいだように感じる


普段は表に出さないけど、
心のなかに少しだけあった、攻撃的な気持ち。


自分自身で、
「あまり、健全な思考ではないなぁ;」
と感じていた気持ちだった。


でも、薬を飲みはじめてから、
この攻撃的な気持ちが落ちついた。


はじめは、
「眠れるから、思考もスッキリして、
   悪い気持ちが湧きにくくなったのかな」
と思っていた。


まぁ、それもあるだろう。

 

よく眠れるようになったから、

脳内の情報がきちんと処理され、
かつ、十分に休息がとれ、
悪い感情が出ないようになった。


あるいは、


薬の作用自体で、身体や脳に影響があって、
悪い感情が出にくくなった。


両方かもしれない。

 


どちらにせよ、

心が素直な気持ちで、
健全であるように感じる。


飲むようになってよかった!
(ちなみに、使いはじめて1週間だ。)

 


でも、飲んでいる薬は、
依存に注意が必要な薬だ。


本来、身体は薬に頼らず、
普段の生活リズムや食事によって、
健康な状態を保つことがベストだ。


だから、

いまは一時的に薬の力を借りているが、

これを少しずつ、

自分で生活リズムを整え、
自然と眠れるようにしていければいいな

と思っている。

 

まとめ

なんでもかんでも、

「自分の力だけで、なんとかしよう!」

とするより、

時には、外からの力も借りること。

 

そうすることで、改善されることもある。

 

改めて実感したので、書いてみました。

 

ではでは、

ささっとですが、以上です。

ふくでした〜!

 

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目標を達成する体感

こんにちは!
ふくです。
お久しぶりのUP!

 

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最近、自分は、
筋トレをするようになりました。


…っていっても、
運動不足すぎて、筋力皆無なので、
筋トレというより、エクササイズ レベルです。


でも、昨日でちょうど3週間が経過し、
少しずつ慣れてきたので、
筋トレらしいトレーニングも
追加していってます。

 


で。

今日は。


「エクササイズをしていて感じたこと」
があったので、それについて書いてみます。

 

 

エクササイズで体感すること


エクササイズするようになって、
体感することがある。


それは、
成長って、コツコツとしていくものだよな
ということ。


すごく当たり前のことなんだけどw

 


自分は20代のころは、
気持ちばかりが焦って、
「すぐに戦力になる」ことができない自分に、
自信をなくすことが多かった。(仕事などで)

 


でも、本来、仕事が
できるようになっていくのは
少しずつなんだよね。


当たり前のこと。


20代のころの自分は、
「すぐに仕事ができるようにならなきゃ!!」
と、常に焦っていた気がする。


そして、空回りする。

 


エクササイズやっていて思うのは、


「自分に見合った目標」を設定して、
真面目にコツコツと続けていれば、
必ず成果は出る


ということ。

 

 

再現性のある情報が多くなってきた


特に今の時代、
成長するための情報は、調べれば手に入る。


しかも、その情報は、
再現性があるものも多い。


筋トレやエクササイズも、
メソッドなどが確立され、
それに沿ってトレーニングすれば
ある程度の結果は出すことができるだろう。

 

情報は転がっているので、

あとはやるかやらないか。

 

 

目標を達成する体感を覚えておこう


今、自分が実感している、


「自分が成長している感覚」
「目標を達成している感覚」


を、意識的に覚えておこうと思う。

 


体感として、

「目標を達成している感覚」

を身につけることができれば、

あとは設定する目標が変わっても
ちゃんと達成できるようになるだろうから。

 

 

ささっとだけど、以上!

ふくでした〜。

 

 

 

価値観の押しつけをしてしまっていた!

こんばんは、ふくです!

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今日は、自分が知らず知らずのうちに、

価値観の押しつけをしていたな

と気がついたことがあったので、
それについて、話してみようと思います〜。

 

ふくの価値観

自分は、自分自身が挫折をしてから、

人にはそれぞれ事情があって、
   内側で戦っていたりもするから、
   人のことを悪く捉えることは、なるべくやめよう

と思ってきました。

 

その価値観になった経緯

具体的には。

自分は、
・自己視線恐怖症
・対人恐怖症
で、困っています。

以前までは、「○○症」とか
大々的に言うのは好みませんでした。

でも、実際問題、ほんとうに困っているので
最近は自称するようになってきています。


で。

自分は、
・視線が煩わしいわ、
・対人はしぬほど苦手だわで、
挙動不審になることが多かったです。

なので、それ自体で神経がすり減り、
勝手に疲れてしまうことも、しばしば。
ゆえに、職も続かず…。

こんなふうに、「困って」いました。


でも、
・自己視線恐怖症
・対人恐怖症
は、
「目で見てわかる」
困り事ではありません

なんで、
挙動不審になってしまっているのか?

なんで、
大したことしてないのに、
神経がすり減ってそうなのか?

なぜなのかは、自分が相手に伝えないかぎり、
相手には伝わりません


たとえば、
「車椅子に乗っている」
などであれば、
「足が不自由なのだな」
と、
「見て」分かることがでますよね。

でも、
視線恐怖症
・対人恐怖症
は、基本、
自己申告しなければ、
相手は、本人が困っているとは
わからないでしょう


ちなみに、
「目でみてわかる困り事の人たちは
いいよな!
そっちのほうが楽だよな!」
といったことが言いたいのでは、
決してありません!

対比の例として、
出させていただきました。


脱線しましたが、

自分自身が、
「目でみて」わかる困り事ではなく、
「見ただけではわからない」
困り事を抱えていたからこそ、

人にはそれぞれ、
   他者には分かりづらい困り事を
   抱えているかもしれない。
   簡単に批判したり、悪く言うことはやめよう!

こんな価値観になっていました。

 

この価値観を無意識に他者にも押しつけていた

で。
本題ですが、自分はこの、

人にはそれぞれ、

   他者には分かりづらい困り事を
   抱えているかもしれない。

   簡単に批判したり、悪く言うことはやめよう。

という価値観を、
無意識のうちに、他者にも押しつけていました


言い換えると、

人は皆、相手の事情を思慮深く配慮すべきで、
相手のことを丁重に扱うべきだ!

という思いが強すぎました。


でも、実際は、
皆それぞれ、別に、
ムカつく相手についてムカついてもいいし、
愚痴ったり、悪く言ったりしてもいいし、
イジめてもいい。

相手の自由なんですよね。


本来は、悪く言うこと、イジめることは
百害あって一利なしだと思います。

言う人にとっても、
言われる人にとっても利益はありません。


ある個人が他者のことを悪く言う、
いじめることは、

そのいじめている人が、
満たされていない

あるいは、
ヒマである

と、周りにアピールしていることと
同義だと思います。

だから、いじめている人にとっても利益はありません。

即刻、やめるべきだと思います。


とはいえ、
どう判断し、行動するかは、
結局のところ個人の自由です


みんな、そんな大真面目な話でなく、
ライトに悪く言うこともあるでしょう。

愚痴を言うことさえもNGにすると、
ストレスが溜まりまくってしまうこともあります。

適度なガス抜きは必要だと思うんですけどね。


なのに自分は、

なんで皆、勝手に人のことを判断して、
   好き勝手に悪く言うんだよ!

   その人にはその人なりの
   事情があるかもしれないじゃん!

   悪く言うなよ!!

と、感じてしまうことが多かったのです。


これは、立派な
価値観の押しつけ
なんだと、気がつきました。

 

相手には相手の選択の自由がある

相手には相手の、選択の自由があります

なので、自分も、
「人は皆、相手のことを思慮深く考え、
   配慮すべきじゃん!!」
ということを、相手に押しつけるよりも、

自分自身が、
その価値観を相手に押しつけることをやめたほうが、
よほどエネルギーの消耗は、少なくて済む。

そういったことに、気がつきました。


自分の中では、
「人は皆、相手のことを思慮深く考え、
   配慮すべき」
という考えは、正しいと思っていました

だから、皆、そうすべきだと

でもそれは、他者への押しつけだと、気がつきました。

自分が正しいと思っていることでも、
そのすべてを押しつけて、相手の反応を期待することは、
相手の選択の自由を奪っている
と改めて気がつきました。


思いがけないところで、
「相手を尊重する」
ということの、難しさと、
自分もできていなかった、ということを、
改めて実感することになりました。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

自分は、はたと今回のことを気がついたのですが、

それまでは、自分が無意識に
「価値観の押しつけをしている」
ということは、気がつけませんでした

よかれと思っていることの中にも、
実はよく考えてみると、間違っている
ということもあるなぁ、
と感じる出来事でした


ではでは、以上です〜。

ふくでした〜!

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無職からみた仕事をすることのメリット

こんばんは!
ふくです。
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ほんとにキツくて辞めたい人がいるのも、
重々承知なので、
現在、無職な状態の人がいってるよ!
と踏まえた上で聞いていただきたい。
 
 
仕事をするメリット
 
それは、
 
人と関わることができて、
かつ、お金ももらえる
 
ということだ。
 
 
どういうことか、というと。
 
まず、
無職な人が人と関わろうとしたら、
基本はお金がかかる
 
しばらくの間は
人と関わらなくていいや。
  人付き合いってのは疲れる…
と、思っていても、
人間はだんだん寂しくなるもの。
 
なので、徐々に『人と関わりたい!』
と感じるようになってくる。
 
 
そうすると、人と関わるとなると、
・食事をする
とか、
・何かイベントごとに出かける
とか、
何かしらお金がかかるわけだ
 
 
いまはインターネットがあるので
お金をかけずともできるコミュニケーションも、
たしかにある。
 
けど、そのうち、ネット上だけでなく、
実際に会ってコミュニケーションしたいな
となったりもする。
 
そうなると、
交通費にしても、ちょっとしたお茶でも、
大なり小なりお金はかかるわけだ。
 
 
ここで、『仕事をする』ということを
考えてみよう。
 
…あれ?
 
仕事だったら、
 
人とも関われるし、
その上、お金までもらえるじゃん!
 
ということ。
 
 
たしかに職場には嫌な人や、合わない人もいるだろう。
 
それが皆無ってのは、なかなか難しい。
 
けど、
人と関わることができるのは、
無職になって、人との関わりが極端に減った身からすると、
メリットな気がしてくるのだ。
 
 
無職だったら、
「人と関わりたい」と感じたら、
お金を少なからず払わないと、人と関われない。
 
けど、
仕事をしていれば、
人と関われる上に、お金までもらえる。
 
これって、大きなメリットだなぁ、
と感じた。
 
 
…ま、って言っても働きたくないんだけどね←クズ
 
 
これって、
・人と関われて、
・お金がかからない
 
そうであればいいんでしょ?
 
働くこと以外で、上記ができればいいね。
それって情報発信なわけかなー。
 
 
まぁ、
「自分に合った場所」を見つけ、
そこで楽しめれば最高ですな。
 
ではでは、そんなかんじです。
ふくでした!
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作業効率と休憩

こんばんは!
ふくです。
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何か作業をするときは、
『一旦忘れる時間』というか、
 
『寝かせる時間』みたいなものを作ったほうが、うまくいく
 
と感じている。
 
 
たとえば!
「飲み会のセッティングで、お店を予約する」
としよう。
 
 
そのとき、まずはネットで検索する。
めぼしいものを軒並みピックアップしていく。
 
そして、ある程度検討して、
いくつかの候補に絞ったら、
そこで一旦、寝かせる
 
数時間とか、あるいは翌日に持ち越すとか。
間を空けてからもう一度候補を眺め、
それから決定する。
 
 
慣れている人だったら、
一つながりで最終候補にまで絞れるんだろう。
 
けど、
不慣れなうちは、
段階を踏んで、その段階の間には
一旦、ブレイクを入れたほうが
頭の回転は良くなる、と感じる
 
 
要するに、その作業を休まずに続けると
煮詰まるからだ。
 
煮詰まるのを避けるために、
段階ごとに、ブレイクを入れる
 
そして、ブレイクしてリフレッシュしたら
また先ほどピックした候補をみて
冷静な判断で、また絞っていく。
 
ブレイクを積極的に入れないと、
煮詰まって、いい状態で判断ができない、
ということだ。
 
まぁ、何事も慣れ、
というのはあるのだろうけど、
不慣れなうちは、
ちょこちょこ休憩を挟んだほうが、
クリアな思考を取り戻せる。
そんなことを、実体験から感じた。
 
そんなかんじですー。
ふくでした!
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寝不足の原因

こんばんは!
ふくです。

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最近、なんか寝不足だなー、
なんでだろな〜、
と思っていて、その原因を考えてみましたら、
思い当たる節が!

もったいつけるほど、長い話でもないんですが、
寝不足の原因を話してみます〜。

棚卸しのクセをつけると、
原因究明がはやくなってイイネ!

では、さっそく〜。

 

最近、寝不足だ。

なんか眠れない…。

そもそも、寝つきが悪いのだ。

その寝つきの悪さについて、
原因の1つがわかった。

風呂だ!


ゆったりと芯から体を温める。
これは、まぁいい。

けどそのあと、

身体をめっちゃ丁寧に洗う。

これがなかなか全力で!
これがまずかった!

ひと汗かく勢いで体を洗い、
めっちゃ脳を覚醒させることをやっていたのだ!


風呂から上がるころには、
・一運動したあとのように
・汗をかき
・脳が覚醒
・その状態ですぐに寝付こうと、
 布団にはいって横になってしまう

こんな具合だった。

 

まとめると、
風呂で、脳が覚醒する状態をつくってしまい、
その覚醒状態で眠ろうとしていた。

これは、寝つき良くないわ!

 

なので、


・風呂では、全力で体を洗わない
・風呂上りは、まったりとリラックス

睡眠導入時は、身体の温度が下がっていく
 ゆえに、

   風呂上がりで体温が下がっていくタイミングで
 布団に入り、横になる
 そのまま眠れるようにする。

 

これを気を付けてみたい!  

 

よく言われることだけど、

眠る直前はなるべくリラックスし、

睡眠に入っていくことが重要ですよね。

自分としては、風呂では湯船に浸かって、

よく汚れも落として、いい1日の締めくくりを

している気分になってましたが、

脳を覚醒させてから布団に入っていたら、

元も子もないですね!

 

ではでは、今日はそんなかんじです。

ふくでした〜!

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