両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

自己防衛のための自己卑下をやめよう

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自己卑下とは、わかりやすくいうと、
 
「どうせ、自分なんて〜」
 
ってやつですね。
 
 
わざと自分を悪く見積もってしまって、
そういう言動・行動をしてしまう。
 
 
 
たとえば自分の場合だと、
ひとりでいる分には
ある程度ポジティブでいられる。
 
凹むことがもしあっても
棚卸しをして、理詰めで考えていくと、
そのうち落ちつくことができる。
 
(というか、この理詰めの棚卸しは、
   万人にオススメなので
   そのうち記事にしようと思う。
 
   本でも結構書かれているもの多いよね。)
 
 
だけど人と接触するってなると、
とたんに自信のない、
弱い自分が出てきてしまって、
 
「貧乏でして・・」
 
とか、
 
ニートでして・・」
 
とか、別に言わなくてもいい
ようなことを言ってしまう。
 
 
しかも、もれなく
後ろめたさでいっぱいな空気感で。
 
 
なんというか、こう・・
 
どよ〜ん
 
とした空気感を出してしまう。
 
 
 
で、これは一体、
なんでやってしまうのか?
っていったら、
 
一つ目の原因としては、
 
自分のこの現状は、
説教されるとしか想像できない
 
ってどこかで
思っちゃってるんだよね。
 
 
つまり、
 
自分の現状を話したら、
きっと説教されるんだろうな・・
 
と、深層心理で、
感じてしまっている。
 
後ろめたいと感じてしまっている。
 
 
 
でも、必ずしも説教されるか?
っていったら、そういうわけでもない。
 
別に収入なくても、ニートでも、
人間性とは関係ないんだから、
とがめられる理由は、本来ない。
 
(でも、自分は実家寄生型なので、
 ゆくゆくは自立しなきゃいけないけど。)
 
だからほんとは、堂々としていればいい。
 
 
 
だけど、それができない、っていうのは、
つまりは、こういうことだ。
 
もう一つの理由は、
 
自己防衛である
 
ということ。
 
 
どういうことかというと、
 
自分のことをわざと低く見積もっておけば、
もし相手がこちらを
悪く言ってきたとしても、
 
「そりゃ私は、レベルの低い人間だものね。
   
   言われても仕方ない人間だもんな・・。」
 
と、自分の中で、
納得することができる。
 
 
つまり、
 
自分を守るために、
 
「自分が悪く言われるのは、
   仕方がないこと。」
 
こんな風に考えられる“理由”を作っておく。
 
 
こんな風に“理由”が用意されていれば、
ことの真相はどうであれ、
思考としては納得できる。
 
 
「自分が悪く言われるのは、
   仕方がない」
 
そう思うことで、
自分が不用意に傷つくことを
避けることができるのだ。
 
つまりは、自己防衛することができるのだ。
 
 
 
まとめると、
 
自己卑下をすることで、
自己防衛をしている
 
と、こんな風なわけだ。
 
 
 
でも、たとえ自己防衛だとしても、
過度な自己卑下はよくない。
 
 
ラベリングとか、
パッケージ付けとかっていうのがある。
 
   自分のことを○○だ!
   と思うことを繰り返すことで、
   だんだんとそういう自分になってしまう。
 
そういう傾向が、人間の脳にはあるのだ。
 
 
たとえば、
 
自分はダメな奴だ・・
 
と思って、そう思い続けたりすると、
ほんとうにダメなかんじになっていく。
 
 
くわしくはこれも、
別で記事で書こうと思う。
 
 
 
自己防衛による自己卑下。
 
心が弱っていると
やってしまいがちなんだけど、
やらない方がいい。
 
 
 
でも、何か犯してしまった事実があるなら、
それは事実として、自分で受けとめよう。
 
事実は事実として認める。
 
そして、そのうえで、
どう、その事実を自分の中に
落としこんでいくか?
 
 
ことの内容によっては、
 
反省して次にすすめばいい
 
と、安直にはいえないかもしれないけど、
自分の中で整理して、受けとめよう。
 
 
 
End