両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

自己紹介2(執筆中)

こんばんは、ふくです!

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もはや取り繕っても仕方がないので、

赤裸々に書こうと思ってます!


自分もそうなんだけど、
人ってわりと、覗き趣味みたいなところが
あると思う。

覗き趣味とは、
『他人の人生がどんなふうであるのか?』
っていうことが、実は結構、気になってるんじゃないか?
ということ。


『まっっったく、興味がありません!
我が道をいきます!』

って人ももちろんいるだろうが、
実際、気になっている人も多いはず。


ということで、自分のケースを正直にここに記してみるよ!


出でよ!
私の経歴!!

…結構、甘ちゃんだよ!orz

 

埼玉の無職はここに在り!

いま、自分は埼玉の実家住まいだ。

実家寄生型の無職

無職歴はかれこれ4年近くになった。

完全にアカンや〜つ〜だ。orz

みんな、いろいろ辛いことがある中で必死にやりくりして、
自活している人たちもたくさんいる。

そんな人からしたら、自分のような人は
恵まれているし、ブルジョワだろう。

 

 

実家寄生型の無職だけど、自活経験も少しはある

ちなみに、自分も実家に出戻るまえに、
たった9ヶ月だけど自活をした経験もある。

こんな短期間だったら、したうちに入らないかもしれないが…。

このときはビンボー生活だった。

 

 

自活の時の経済事情

あとで、記録などを引っ張り出して
書きなおすかもしれないが、
いま覚えている限りで、どんな金額で
やりくりしていたか、書いてみる。↓

家賃35,000円

光熱費は、
電気ガスがそれぞれ、約3,000円代〜4,000円代
水道代も2ヶ月に1回で、4,000円代くらい。

つまり、水道代を払う月で、
だいたい12,000円前後くらいが平均だったかな。

食費は月に3〜4万円と、時々親が仕送りしてくれたりしていた。


うちの親は甘ちゃんだ。

その甘ちゃんにしっかり乗っかっているのは
自分だけどね。


それに携帯代7,000円代だったかな。

パソコンなしだったので、通信費みたいなのは携帯のみ。


税金ずっと親が代わりに払ってくれている。

年金国民年金を25歳の歳から、
親が払い始めてくれた。

あ、ちなみに自分はいま30歳で、
今年、31歳になります。

 

 

無職の前は?

無職の前は、フリーターとニートをいったりきたり


フリーター時代はどんなバイトをしてたか?
というと、

・登録制の派遣バイト
物流工場での流れ作業みたいなのが、多かった。
ベルトコンベアで流れてくる箱に、
ひたすら、商品が入った小箱を入れる、
とかそんなんだ。

ほかも色々やったから、後々書き足すかも。


・登録制のイベントバイト
たとえばライブ会場の列の整備をしたり、
企業向けのイベントの整備、
ポケットティッシュ配り、
などなど。


・バーでのバイト
バーとは名ばかりで、お酒詳しい人が
いるわけでもなかった。
ゆえに、ただ単純に、お酒出す場だった、
というだけの空間だ。
端的に言ってしまえば、やってみたかったから、やってみた、というかんじ。


・総菜屋の売り子
そのまま。総菜屋さんで総菜売ってた。

 

 

主に単発バイトを続けていた理由

主なのはこんなかんじかな??

ほとんどは、登録制の派遣バイトでやりくりしていた。

派遣のなかでも、単発のバイト

あ、一人くらししていたときは、
一箇所でのバイトをしていたけど。
ちなみに、総菜屋で。


なぜ、単発バイトばかりやっていたか?

というと、自分は高校中退、専門学校中退と、
立て続けに中退を経験している。

そして、社会不適合、社会不安症となってしまったので、
継続的にシフトに入る普通のバイトは、
やるのに自信がなかったのだ。


というか、フリーターはじめた当初は、
そば屋、次にCDレンタルショップで働いたんだけど、
どちらもあっという間にやめたくなって、
最終的に飛んでしまった。


飛んだことへの罪悪感と、
自分の不甲斐なさに情けなくなって、

「さすがに普通のバイトはもうできない…orz」

と感じて、単発バイトを主にやるようになったのだ。


「そのうち、バイトすること自体に慣れたら、
単発ではなくて、普通の、一箇所でのバイトをしよう。
慣れるまでの辛抱だ。」

と思っていたのだが、

バイト(働くこと)に慣れるなんて日は結局やってこなかった…。

 

 

ニートとフリーターを行き来しながら、絵描きをやってました

それでも、一箇所のバイトを始めてみたのが、
バーでのバイト


そのころ、自分は、フリーターとニートを行き来しながら、
絵を描く活動をしていた。


学歴は閉ざされ、将来の目標などもなく、
呆然としていたとき、

とりあえず、好きだと思えることをやってみよう!
そういや、自分はが好きだったな。

とおもって、言ってしまえば、
思いつきで絵描きの活動を始めた。


当時はmixiが全盛期のころで、
mixiのコミュニティなどで知り合った人と
メッセージやりとりしたりして交流したあと、
その人づたいに展示やイベントに行ってみるようになった。


そうこうしてるうちに、自分でも活動を始めたら、どんどん継続していった、
というかんじだったのだ。

 

で、

主にどんなところで活動していたか、というと、
クラブやバーでのイベントで、
ライブペイントをやることが多かった。

クラブとは、音楽の流れてるクラブね!


で、ライブペイントとは、一応説明すると、
お客さんのまえで、1から絵を描きあげる、
というもの。

まっさらだった紙に、お客さんのまえで
どんどん描いていって、完成させる、
というものね。


ライブペイントといっても、形態はいろいろあるんだけど、

自分の場合は、壁に紙を貼り、
イベントが夜の22時から朝方の5時まで、
とかだったので、

その間に自分で時間を見ながら、
完成させていたかんじ。


ちなみにこの活動はマネタイズしていなかったので、
完全、趣味活動だった。


時々、
「今日、お客さんの入りが良かったから!」
と言って、数千円 程度のギャラはいただいたりもあったけど、
基本はノーギャラだ。


でも自分はもともと、
『絵描きでどうこうなりたい!』
と思って、絵に参入してきた身ではなかったし、

言ってしまえば、素人だったので、
ギャランティがないことは別に良かった。


散々、
「絵で食べていきたいとは思うの?」
とか聞かれたけど、

「ん〜、まぁそうできたらいいですけどね!
頑張ってはいます!」

なんて言ってもみてたけど、
内心はほとんど、それは現実的ではなかった。


なにかしらバイトでも、仕事をして、
それで絵描きの活動と並行していく、
ということを、このころは考えていた。


着地点はわからないけれど、
目の前にやってくるチャンスをこなしていくのが楽しくて、
それで絵描き活動をするのが楽しかったのだ。

 

 

絵描き活動のなかでバーでの仕事に興味が出てくる

そんなふうな活動をしていたので、
活動の場としてよく行っていた、
バーやクラブという場所での仕事に、興味を持つようになった。


絵描き活動していたのは、都内だったけど、
ビビりだった自分は、都内のバーで
働く勇気はなかった。


なので、偵察じゃないけど、
埼玉県内のめぼしいバーで働いてみることにした。


いままで出演者として呼ばれる側だったバーだったけど、
実際、働く側の、内側の立場になったら、
どんな景色が見れるんだろう?

そういったことも、実際自分が
働いてみることで、見てみたい!!
と感じて、バーで働くことにしてみたのだ。


ここでは、ダメな自分でも愛情もって接してくれた上司もいて、
いる人たちはいい人たちが多かったようには思うけど、
そもそも接客は自分にとったら、
ハードルが高すぎたorz

9ヶ月程度でやめた。

このときは飛ばなかった。(それが普通だねw)


でも、辞めたときには、結構、呆然としてしまっていた。

やっとやってみた、一箇所のバイト。

しかも、絵描き活動の延長線上になりうる、バーでの仕事。


でも、自分にはダメで、継続できなかった。


このころから、少しずつ、

あれ?自分は筋金入りの社会不適合なのでは…?
ダメだ、仕事というものを継続できる気がしない…。

と思うようになっていた。

 

 

(執筆中)

 

 

 

これからのブログの方針について

こんばんは。

ふくです!

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やってきました、2018年

 

去年は、いろいろと情報を仕入れるも、

「やる気が出ない…」

の低空飛行で、 『実践』することが

ほとんどできていませんでした…。

 

『実践』ってのは、

「自分は情報発信がしたい!」

と思ってたんですね。

 

けど、それがほとんどできていなかった。

 

というか、さらにぶっちゃければ、

ブログを使って、アフィリエイト

やりたかったんですよね。

 

だけどそれって、そもそも、

文章を書かなければならない。

 

文章もなにも、自分は、言語化さえうまくできない!

 

思考はあるのに、これを言葉にうまくできない、

ムキーーーーー!!!!!

 

…ってな状態になってたんですね…。omg!

 

だけど、もう、うまく作ろうとすることをやめました!(やっと。)

 

口語に近い形で、

まるで友人に語りかけるように、

好き勝手に書いてみることにしました←

 

だから、平気でタメ口だったり、丁寧語だったりになるかもだし、

 

1記事をキレイに完成させてから、

UPするのではなくて、

 

平気で(更新中)とかにして、

「リライトする気、満々ですぅ!!」

な状態でもUPすることにしよう!

と思っています。

 

そのほうが、結果、実践しそうだし、

継続できそうな気がしています。

 

…やっと!w

 

こういうのは書いても書かなくてもいいのかもですけど、

なるべく本音で、腹から語りたい!

という意識のもと、

書いてみました。

 

ではでは、2018年、

今年は動きだすぞ!と自分の中で勝手に

確信しておりますんで、

よろしくどうぞ!

 

ふくでした〜!

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自己紹介1(執筆中)

こんにちは!

ふくです!

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なんかネットといえど、
自己開示をするのが恥ずかしくて
なかなかしていなかった。

けど、ネットでこそ自己開示をしないと
人間性が伝わらない!


すべてを具体的に開示する必要はないけど、

こんな経緯をたどってきて、
こんなことを考えてきたよ〜!

ということを、すこしは話したほうがいいかな、
と感じたので、書いてみやす。


できたところまでで、公開してます!

まだまだ足していきま〜す。

多少、長くなりそうなので、順番に。

 

中学くらいまでは優等生

自分でいうのもなんだけど、
勉強も運動もできて、わりと優等生だった。

でもガリ勉とかってわけではなくて、
目の前の課題をコツコツとがんばっていたら、
普通にできた、というかんじ。

べつに自然なことだったから、
時々、
『ふくは、勉強も運動もできるね!』
といわれると、照れくさいというか、
『フツーなんだけどな〜〜』
と感じていた。

まぁもちろん、褒められることは、
素直に、まんざらでもなかったけれどw


というか、自分は極端に口数が少なかったので、
人とおしゃべりする代わりに、
目の前のことをコツコツやっていたら、
できた、というかんじ。


もし自分がおしゃべり好きな子だったら、
勉強や運動はできたか?っていうと
わからなかった気がするし、

いわゆる『頭がキレるか?』って面で
見たら、キレるほうではないと思う。

というか、もし頭がキレるタイプの人間だったら、今ごろこんなに困ったりはしてなかったであろうw
フツーの人だ。

 

家庭環境はごくごく普通

家族構成は、と自分。
中流階級のごくごくフツーな、4人家族

は信用金庫のサラリーマン
は薬剤師のパート

銀行とか、薬剤師とかってワードを聞くと、
『お金もちじゃん!
頭いいじゃん!』
みたいな印象を持たれたこともあったけど、
そんなことは全然ない。

父は信用金庫で、晩年、平社員で
昇給もしなかった人。

具体的には金額聞いたことなかったけど、
年功序列世代なのに、
『普通、このくらいの年代になったら、
これくらい、もらえるでしょ…』
って金額も、もらえなかったっぽい。

父はいわゆる、うだつが上がらないタイプの人だ


母もパートで、最低限のお小遣いや
家計の足しにはするけど、
そんなにがっつり働きたいタイプでは
なかったので、扶養の範囲内で働いていた。


まぁなので
金持ちではないけど、貧乏でもない、
ごくごく普通の家庭だったな。

 

寡黙な家庭

父が口下手な人で、家では会話が少ない家庭だったと思う。

でも結構、
家族でペチャペチャしゃべるところもあれば、
しゃべらない家族もあるだろうから、
これまた普通かな??


自分は末っ子で、かつ、寡黙な家庭で育ったので、
『会話することのメリット』が、
あまりわからずに育ったかもしれない。

末っ子で甘えたに育ち、
かつ、家庭内では会話はほぼなかったから、
『会話というものは、
べつにしなくてもいいものなんだな』
という認識が、無意識に埋め込まれたように思う。
(もちろん、いま思うと、だけど!)

しゃべらないことが、この時期によって、
デフォルトになったのかも。


根底にはいつも、
『てか、なんでしゃべらないといけないの?
てか、なんでみんな、そんなにしゃべってるの??』
って、『素朴に』思っていたような気がする。

これがゆくゆくになって、
社会性という問題になって、
自分を苦しめることになるのだが(*´-`){ omg! )


そもそもあまり、人としゃべらないので、
人に対する興味も、昔はあまりなかった。


でも、いまでは、
後述するが、挫折を経験し、
・自分自身のこと
・そして人のこと
に、興味が湧き出し、
『人とコミュニケーションとることは、楽しいことだ!』
と思うようになった。

自分を含めた『人』というものに、
興味を持つようになった!


でも、元の、基本的な気質は、無口だ。


無口な一方で、くだらないこととか、おちゃらけたことも好きだけどねw

そういうのを見聞きすると、大喜びしたりもするw

無口なとこもあるけど、
面白いことは嫌いじゃないw

 

あと、人のことに関心が薄かった、
ということとも繋がってると思うんだけど、
母が父のグチをこぼしているのを聞いて、
『なんで離婚しないんだろう?』
とよく感じていた。

それを思っていたのは、小学生低学年くらいかな?


末っ子で、きちんと愛情を受け取れていたので、
そのころには
『グチをこぼすくらいなら、離婚すればいいのに…』
と感じていた。

実際、離婚して片親になってしまったら、
『寂しい』
と感じたのかもしれないが、
そのときは、
『なんで、離婚しないんだろう?』
という思いが強かった。

結局、離婚など、しなかったけど!


いま思えば、世間体もあるし、
母はがっつりとは働きたくない人だったので、
グチこそいうけど、べつに別れるほどでは
なかったんだろうな、とは思う。

 

高3年の夏に退学

高3の夏に退学ってきくと
『え?!なんで??
あと半年、がんばれなかったの…?』
と思うだろう。

実際、多くの人に言われた。

けど、自分としては、
我慢して我慢して我慢して、
それで『もう、ダメだ〜〜orz』
と、緊張の糸が途切れてしまったのが、
その時期だった。


自分としては、限界までがんばって、
はじめて出した弱音だったのに、
それに対して誰も
『いままでよく、がんばったね!
おつかれさん!』
といったことは、言ってくれなかった。

そのときに、明白にこう思っていたわけではないけど、
この時期のことを棚卸ししたときに、
自分で自覚した気持ちだった。

誰も『がんばったね!』って言ってくれなかったのは、
寂しかったんだな〜、と。

いまではもう過去のことで、消化し切れているので、
全然、なんとも思ってないんだけどね!

 

 

(執筆中)

感情や思考はナマモノだと感じてる

こんばんは。
ふく です!

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自分は、感情や考えごとって、
ナマモノだと感じている。

なので、なにか感じたことがあったら、
できるなら、その場で言語化してしまいたい。

あとで同じようなことを書いてみようとしても、
うまくいかなかったりするからだ。


なので、よくあるのは、
『メモしておいてあとで書こう!』
ってのが、うまくいかなかったりする。


イデアのメモは貯まっていっても、
『あとは書くだけ!』
って状態にしても、
一向に筆が進まなかったりする。


なので、可能な限り、
出先などでなにか感じた際は、
できるだけその場で書くと、
かなりその鮮度を保ったまま、残せるような気がしている。


あるいは、思い出して書くときでも、
相当、自分の中で臨場感が高まっていれば、
書けたりもする。

でもそれも、自分の中で
それなりに臨場感を高める作業をしないと、
書けないかんじなのだ。

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なので、呼吸をするように文章を書ける人は、スゴイなぁ!と感じる。

それも訓練かもしれないけどね。


と、思いまんた!


しー ゆー あげいん〜。

ふくでした!

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お金を使うことへの満足感

こんにちは〜。
ふくです!

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唐突ですが、
いまだかつてないほど、
有意義にお金を使えている気がします。

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(いまは現金や円だけじゃないですけどね)


いままでは、慢性的に欲求不満みたいなかんじがあって、
(精神的にね!)
それを解消することに、お金を使っていた気がします。

まぁ、その中でも、
・いろんな人に会ったり、
・いろんな場所に行ったり、
・なにかを見にいったり、
ということを、たくさんしてきたんだけど。


でも、いつも
『足りない、足りない…』
と感じていて、満足度も低かったと思う。

満足度が低いというか、厳密にいうと、
お金を使ったその瞬間は高いんだけど、
そのあと長くは持続しない、
というかんじ。


学べたことは、もちろんたくさんあった。

だからムダだったとは思わない。


でも、その一方で
いつもプラマイゼロだった気もする。

・ためになった!
・自分のエネルギーが消耗し、疲れてしまった;

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両方あった気がしている。

 

でもいまは、
・モノを買っても、
・サービス(教材とか)を買っても、
・移動や交際費に使っても、
とても満足している。


事前に検討に検討を重ね、
実生活で自分が使っていることをリアルに想像し、
(できれば体感し、)
かなりリアリティがあったら、
買うようにしている。

かなり臨場感が高まった状態でないと、
買わない。(お金を使わない。)


だから満足度が高いんだと思う。

そして、満足度が持続する。


いいことや〜^ ^


ゆえに手にしたものは、

手にしたものすべてに対し、
自分の想いを語れなければならない

と感じるようになった。


ものってのは、
物質的なモノだけでなく、交通費やサービスなど、
お金を払ったものすべて。

 

お金=悪!

ってなりかけたんだけど、
満足度の高い使い方を
すこしずつできるようになってきたら、
お金の見方が変わりつつある気がしてる。

 

ではでは、
そんなことを考えやした〜。

ふく でした!

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うちの『偉大なる母』を見習いたい件

こんにちは!
ふく です。

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今日はペットの魚のはなし

自分はですね、生き物がすきでして、
現在、熱帯魚を飼っています。

でも皆さんが思い浮かべる熱帯魚って、
こんなかんじではありません??

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(熱帯魚水槽.com より引用)

カラフルなかんじとか、
水中をスイスイ〜〜と泳いでいるかんじ。


だが、しかし。
我が家のコたちは、こんなかんじです。

ドン!

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まぁ♡

 

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どこにいるかというと…

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……ココ。↓

 f:id:fuku_fuku8:20171217080218j:image

つまり、

・カラフルでも、
(映ってるコたちは、まだ明るい色の方ですけど。)

・水中を泳ぐわけでもない
("底もの"なんて呼んだりする、
主に、水底にいる種類なんです!)

可愛い♡可愛い♡
小型ナマズの、
コリドラスさんたちです!!
わっはぁーーー♡♡♡

 

『偉大なる母』とは?

自分は、一匹一匹に名前をつけて愛でてます。

そして、その中に
ビッグママ
と名付けたコがいます。

なぜビッグママという名前にしたかというと、
よく食べ、はじめから体が大きめだったから。
イメージ的につけました。
そして、このコはメスです。


こちらがビッグママ。
(左のコです。)

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…ほとばしる貫禄。←
(そして、写りたがりが1匹…w)

 

ビッグママの本気をみた

コリドラスは基本的には、底の方にいて、
底砂をモフモフ、ツンツンしています。

エサも、底に落ちたものを食べるため、
コリドラス用のエサは
沈下性の(沈む)ものなのです。

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(すこし見にくいですが、こんなかんじ。)

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それはある日の食事のときだった…

健康で、元気いっぱいなビッグママ!

しかしある日の食事のときに、
自分は、衝撃的な光景を目にしたのです!!


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↓底


「え?!?!!!
   なに?! 死んだ?!
   弱った?!?!!!」

動画を載せたかったんですけど、
はてなブログは動画が載せられないみたいなので、
GIFにしてみました。

荒いですけど、こんな状況になってたw
↓ ↓

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だが、しかし!

ビッグママは
死んだわけでも、
弱っていたわけでもありませんでした。


それそれは必死に、
横たわってまで本気でエサを食らっていただけでした。


うっそーんwwwwwwwww!!

 

その証拠にその後、
普通に起き上がってモグモグし続けていましたw

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げ ん き や ん wwwww!!!!!

 

魚って、弱ったときにしか横たわったりしないんです

フツー、魚は、弱ったとき以外は
横になったりはしないものです。


なので、横になっている場合は、

・相当弱っている
・星になった
(亡くなってしまった、の隠語です!)

のどちらかである可能性が高い。


だけど、今回、ビッグママは元気で、

ただただ、エサを食うことに必死だっただけだったwww

いやぁ、
偉大なる母の本気をみましたよ!これは!wwwww


魚は弱ったときくらいしか
横たわらないはずなのに、

ビッグママは横たわってまで、エサを食らいつづけました。


ありがとう、ビッグママ。

自分はあなたの本気を見習おうと思うよ。


……。

 

単なる食い意地wwwwww!


では、もう一度。↓ w

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f:id:fuku_fuku8:20171217080436j:image

しー ゆー あげいん!

ふく でした!ww

 

対人恐怖症で視線恐怖症な自分が改めて気がついたこと

こんにちは、
ふく です。

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先日、チャリンコ(ママチャリ)のムサシ号にのって、
大きめの公園に行ってきました。


ちなみに自分は最近、サイクリングにハマっています。

…とは言っても、愛車はママチャリですけどね。

けど、ムサシと名付けて、冒険に出かけています ←

 

まぁそんな話はさておき。

大きめの公園へ行ったことで、

・対人恐怖症
視線恐怖症
である自分について、改めて気づいたこと

があったので、
今日はそれを話してみようと思います。

 

人が多すぎても、少なくても苦痛

その日は平日でしたので、
行ってきた公園は閑散としてたんですね。

たとえば都内の大きな公園、
代々木公園とかなんかは平日でも人がいたりしますが、
ここは北関東。

いるのはお散歩にきているおじぃちゃん、おばぁちゃんに、
小さな子どもを連れたお母さん、
とかだけでした。

広い敷地ですので、ポツン、ポツンとしか
人がいないかんじ。


自分は、
・対人恐怖症
視線恐怖症
なので、
人がいないに こしたことはないんですが、

ふと気づいたんですよね。


「人がいなさすぎても、
それはそれで気まずいな。」

ということ。

【こんなイメージ ↓↓ 】

 f:id:fuku_fuku8:20171216142845j:image


たとえば、
人が『まったくいない』のであれば、
それはもう、
どう動こうが、どこを眺めてようが、キョロキョロしてようが、

自由です。

なので楽なのです。

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ですが、
『人っこひとり、いない』
という状況ではなく、

『人がポツン、ポツンといる』
という状況だと、

注目する対象が少ないため、
ひとりひとりに注意が向きやすい
ことになります。

(再度、こちら ↓↓)

 f:id:fuku_fuku8:20171216142845j:image

 

それならばむしろ、ある程度人がいたほうが、
ひとりひとりに注目する(される)ことは
少なくなるので、
自分としては心理的に楽です。


人が何人かいればいるほど
注目する対象がいっぱいあり、
結果的に、
『どのひとりひとりにも、あまり注目しない』
という状態になるからです。

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※載せてから思いましたが、
この図だとすこし人が多いですね。
もうすこし、少ないほうが良いです。

人が程よくいれば、
その分、注意は分散されるので、
ひとりあたりに対する注意度は低くなる、
というかんじです。

 

もう一度、人が少ないときのことを考えてみましょう。

『人がポツン、ポツンといる状態』
だと、
注目する対象が少ないため、
その分、ひとりひとりに注意が向きやすい
ことになります。

(再度、こちら↓)

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想像してみてください。

多くの人とすれ違ったら、
そのひとりひとりに対して、注目はしませんよね?

でも、たったひとりの人とすれ違ったとなれば、
その人に少なからず注目して、意識が向きますよね?

そんなイメージです。

 

なので、視線恐怖症、対人恐怖症の自分としては、

人が、

・多すぎても、
・少なすぎても、
イヤだ!


人がいないなら、
・人っこひとりいない

人がいるなら、
・多すぎず、ほどよく人がいる

そういう状態が好ましい。
(ドヤァ)

(ワガママなの?←)

 

そういえば、カフェとかに入ったときもそうでした。
(最近はカフェなどに入ることも
少なくなりましたが。)


人が少なすぎると、
店員さんが自分に注目する割合は、
必然的に多くなりますよね?

まぁ店員さんも仕事ですから、
人が多かろうが少なかろうが
お客さんに目を配っているのは間違いないですけども。

 

こんなかんじですよ。↓ ↓

・人が多ければ、
ひとりひとりに注意がいく割合は
小さくなる

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※1人あたり、10しか注意を向けられない。

 

・人が少なければ、
その分、ひとりひとりに
注意を向けられる割合は多くなる

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※1人あたり、30も!注意を向けられる。

 

こんなふうに、
人が多すぎても疲れるけど、
少なすぎると店員さんから注目される割合が
多くなるので、
それはそれでキツイ。

そんなふうに感じていました。


まとめ

自分が、人のいるところに出向くときは、

・多すぎず
・少なすぎず、
程よく人がいることが望ましい!

あるいは、
人っこひとりいない!
と、良い!

と感じやした〜。


まぁ、
いまでは以前ほど外出することは減ったので、
そこまでストレスは感じていません。


以前は、対人恐怖症、視線恐怖症のくせに
やたらと人がいるところに出まくっていたので、
自分の中でパンクしたのだと思います。


自分の気質を自覚し、
バランスとりながら生きていければいいなぁ〜
と改めて思う、今日この頃なのです〜。

 

ではでは、
そんなかんじです。

ふく でした〜!

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