両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

自己紹介1(執筆中)

こんにちは!

ふくです!

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なんかネットといえど、
自己開示をするのが恥ずかしくて
なかなかしていなかった。

けど、ネットでこそ自己開示をしないと
人間性が伝わらない!


すべてを具体的に開示する必要はないけど、

こんな経緯をたどってきて、
こんなことを考えてきたよ〜!

ということを、すこしは話したほうがいいかな、
と感じたので、書いてみやす。


できたところまでで、公開してます!

まだまだ足していきま〜す。

多少、長くなりそうなので、順番に。

 

中学くらいまでは優等生

自分でいうのもなんだけど、
勉強も運動もできて、わりと優等生だった。

でもガリ勉とかってわけではなくて、
目の前の課題をコツコツとがんばっていたら、
普通にできた、というかんじ。

べつに自然なことだったから、
時々、
『ふくは、勉強も運動もできるね!』
といわれると、照れくさいというか、
『フツーなんだけどな〜〜』
と感じていた。

まぁもちろん、褒められることは、
素直に、まんざらでもなかったけれどw


というか、自分は極端に口数が少なかったので、
人とおしゃべりする代わりに、
目の前のことをコツコツやっていたら、
できた、というかんじ。


もし自分がおしゃべり好きな子だったら、
勉強や運動はできたか?っていうと
わからなかった気がするし、

いわゆる『頭がキレるか?』って面で
見たら、キレるほうではないと思う。

というか、もし頭がキレるタイプの人間だったら、今ごろこんなに困ったりはしてなかったであろうw
フツーの人だ。

 

家庭環境はごくごく普通

家族構成は、と自分。
中流階級のごくごくフツーな、4人家族

は信用金庫のサラリーマン
は薬剤師のパート

銀行とか、薬剤師とかってワードを聞くと、
『お金もちじゃん!
頭いいじゃん!』
みたいな印象を持たれたこともあったけど、
そんなことは全然ない。

父は信用金庫で、晩年、平社員で
昇給もしなかった人。

具体的には金額聞いたことなかったけど、
年功序列世代なのに、
『普通、このくらいの年代になったら、
これくらい、もらえるでしょ…』
って金額も、もらえなかったっぽい。

父はいわゆる、うだつが上がらないタイプの人だ


母もパートで、最低限のお小遣いや
家計の足しにはするけど、
そんなにがっつり働きたいタイプでは
なかったので、扶養の範囲内で働いていた。


まぁなので
金持ちではないけど、貧乏でもない、
ごくごく普通の家庭だったな。

 

寡黙な家庭

父が口下手な人で、家では会話が少ない家庭だったと思う。

でも結構、
家族でペチャペチャしゃべるところもあれば、
しゃべらない家族もあるだろうから、
これまた普通かな??


自分は末っ子で、かつ、寡黙な家庭で育ったので、
『会話することのメリット』が、
あまりわからずに育ったかもしれない。

末っ子で甘えたに育ち、
かつ、家庭内では会話はほぼなかったから、
『会話というものは、
べつにしなくてもいいものなんだな』
という認識が、無意識に埋め込まれたように思う。
(もちろん、いま思うと、だけど!)

しゃべらないことが、この時期によって、
デフォルトになったのかも。


根底にはいつも、
『てか、なんでしゃべらないといけないの?
てか、なんでみんな、そんなにしゃべってるの??』
って、『素朴に』思っていたような気がする。

これがゆくゆくになって、
社会性という問題になって、
自分を苦しめることになるのだが(*´-`){ omg! )


そもそもあまり、人としゃべらないので、
人に対する興味も、昔はあまりなかった。


でも、いまでは、
後述するが、挫折を経験し、
・自分自身のこと
・そして人のこと
に、興味が湧き出し、
『人とコミュニケーションとることは、楽しいことだ!』
と思うようになった。

自分を含めた『人』というものに、
興味を持つようになった!


でも、元の、基本的な気質は、無口だ。


無口な一方で、くだらないこととか、おちゃらけたことも好きだけどねw

そういうのを見聞きすると、大喜びしたりもするw

無口なとこもあるけど、
面白いことは嫌いじゃないw

 

あと、人のことに関心が薄かった、
ということとも繋がってると思うんだけど、
母が父のグチをこぼしているのを聞いて、
『なんで離婚しないんだろう?』
とよく感じていた。

それを思っていたのは、小学生低学年くらいかな?


末っ子で、きちんと愛情を受け取れていたので、
そのころには
『グチをこぼすくらいなら、離婚すればいいのに…』
と感じていた。

実際、離婚して片親になってしまったら、
『寂しい』
と感じたのかもしれないが、
そのときは、
『なんで、離婚しないんだろう?』
という思いが強かった。

結局、離婚など、しなかったけど!


いま思えば、世間体もあるし、
母はがっつりとは働きたくない人だったので、
グチこそいうけど、べつに別れるほどでは
なかったんだろうな、とは思う。

 

高3年の夏に退学

高3の夏に退学ってきくと
『え?!なんで??
あと半年、がんばれなかったの…?』
と思うだろう。

実際、多くの人に言われた。

けど、自分としては、
我慢して我慢して我慢して、
それで『もう、ダメだ〜〜orz』
と、緊張の糸が途切れてしまったのが、
その時期だった。


自分としては、限界までがんばって、
はじめて出した弱音だったのに、
それに対して誰も
『いままでよく、がんばったね!
おつかれさん!』
といったことは、言ってくれなかった。

そのときに、明白にこう思っていたわけではないけど、
この時期のことを棚卸ししたときに、
自分で自覚した気持ちだった。

誰も『がんばったね!』って言ってくれなかったのは、
寂しかったんだな〜、と。

いまではもう過去のことで、消化し切れているので、
全然、なんとも思ってないんだけどね!

 

 

(執筆中)