両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

NOが言えない日本人について、思うこと

自分も根っからの
日本人だと自覚があるので、
これは自分へのメッセージでもあります。

NOが言えない、
言いにくいことについて考えてみます。

 

そもそもなぜ日本人はNOが言えない?

それは日本が島国で、
狭い村社会の中で
生きなければならなかった、
ということが大きいと思います。

狭い世界の中でNOといって、
いづらい雰囲気になったら、
自分の身が危うい。

そういったことが原因なのかな、
と思います。


その点海外、たとえばアメリカなどでは
よくも悪くも?個人主義なので、
別に誰かに頼る必要も、
狭い世界の中で生きる必要もありません。


逆にいえばそれはそれで
厳しい世界なのですが、

そういった世界の中で
生きてきているので、
コミュニティの中の調和などは
気にしすぎず、NOが言える。


というか、個人主義の場合は、
自分にとって
不利だったり、危険な場合、
きちんとNOを言わないことのほうが、
自分の身を滅ぼします。


なので、欧米人はNOと言える、
(言わざるをえない)
のだと思います。

 


ほんとに欧米人ははっきりNOと言うんだな!と知れたエピソード

自分は、外国人と接触したことがあるのは
数えるほどしかありません。


その中で、

「ほんとに欧米人って
はっきりNOと言うんだな!
そして、これはわかりやすくていいな。」

と具体的にかんじた出来事が
2回ほどあるので、
それを紹介しようと思います。

 


エピソード①:酔っ払いに対してはっきりとNO

外国人も参加するような、
ある異業種交流会に参加したときのこと。


友だちと共に、2人で参加したのですが、
開始してしばらくは人間観察しながら
2人で話していました。


すると、すこし酔っ払った、
その日の参加者の中では
年齢が平均よりちょっと上くらいの
女性2組がいて、
たまたま話しかけられました。

(すこし回りくどい言い方に
なってしまいましたが、
年上女性2人組、ということです。)


みるからに酔っ払いで、
自分らに話しかけてきたのも
酔っ払った勢いで話しかけている、
というのがみて取れるほどでした。

そしてその2人組は
こんな話をしてきました。


『2人で参加してるの〜?

ちょっと聞いてくださいよ!

さっきね、向こうで、
外国の方と話したいから話しかけたの。

そしたら、ノーサンキューだって!w
ノーサンキュー!ww

そ〜〜んなはっきり、
言わなくてもいいじゃないのねぇ?!

オバさんだからかよ!
オバさんだからか?!

それにしても失礼じゃないの、
ねぇ〜?!w』


と、こんな調子だ。


こちらが、

「そうだったんですか!w
それはちょっと残念でしたね…苦笑

結構飲んでそうですね!
どこかで先に飲んでたんですか??」


『そうなのよ〜!

人見知りだから、
お酒入れないと話せないの!

だから飲んできたの〜。

でも、酔っ払いすぎか?!
あはは〜!』


…わかってるじゃねーかよ!笑


自分も人見知りで、
その緊張感を和らげるために
お酒を飲むことは
当時、結構あったので、
気持ちは痛いほどわかる。

 

で、ここで強調したいのは、


・外国人はこの2人組に、
話したくないから、
はっきりとノーサンキューと言ったこと。


そして、

・2人組は、
『オバさんだから、ノーサンキューだった』
と思っていたみたいだったけど、
たぶん、
オバさんだからというより、
酔っ払いがすぎるから、
ノーサンキューだったのだと思う。

(まぁでもこの2人も
笑い話で話しただけで、
『酔っ払いの絡み方で
嫌がられたんだろうな』
ということは、
わかっていたかもしれません。)



このケースだと、日本人の感覚だと、

「うわ〜、めんどくさいなぁ。
話したくないな〜。」

と思ったとしても、
はっきりとNOというどころか、

なんとなくまったく無視は気まづいので、
簡単な会話には付き合ってしまうと思います。


そしてうまくフェードアウトできればよいのですが、
それができず、


『ほんとは嫌だったのにできなくて
その時間はとても疲れてしまった。
イライラする出来事にはなってしまった。』


という事態になって
しまったりすると思います。

これはとてももったいないことです。

 

エピソード②:ゲストハウスで知り合った外国人

ある時、ゲストハウスに泊まって、
友人とともに旅行に来ていました。


そのときに、
たまたま共有スペースで話していると、
ゲストハウスのスタッフに話しかけられ、
軽く外国人を紹介してもらいました。


でも自分は人見知りで、
友人はすこしは話せるものの、
自分が人見知りをしてしまっていたがために、
そこまで積極的に盛り上げることはできませんでした。


すこしの会話でしたが、
微妙〜な空気感になってしまいました。

 

その翌日、
観光のために外を回っていました。

ゲストハウスのスタッフに
オススメの場所を聞いて、
順番に回っていたのでした。


すると、昨日の外国人たちも、
やはり同じようにスタッフに
オススメを聞いたようで、
行くところ行くところ、遭遇するのです 笑


しかし、昨日、
なんとなく気まずい空気感に
なってしまった自分たち。


最初はなんとなく

『Hi!』

なんて言っていたけど、
気まずさは抜けない。


3回目くらいだったでしょうか?


さすがにまた遭遇したときに

「oh…;」

というリアクションをされ、
そして彼らは近づいてきて、
こう言いました。


「#/&xxyz/&〜
(最初はうまく聞き取れなかった)

Don't mind us,please!」


最後は、ようするに

「もしまた僕たちと
会っても気にしないでくれ。
無視してくれ!」

ということだったと思います。


このとき、自分は
「すごくいいなぁ!」
と感じました。


NOが言えない人の感覚だと、
ここまではっきりと
NOは言えなかったりします。


でもはっきりとNOということで、
別にこちらは嫌な気持ちはしなかったし、

はっきりとそう取り決めてもらったほうが
こちらも気が楽だったし、
合理的だ、と感じました。

 


まとめ

『なんとなく悪い気がして、
はっきりとNOと言えない』

『上司だから、はっきりNOといえない』

理由はどうあれ、はっきりとNOが
いえない日本人は多いと思います。


でも最初の
『そもそもなんで日本人はNOが言えない?』
でも触れたように、

日本人がNOを言えない理由は、
昔の日本人は村社会だったから、
です。


今でもそれが抜け切れていないのでしょう。


会社や、
プライベートでも友だち同士などのコミュニティ、など、
どうしてもその中では
角のある発言に聞こえるNOは
言わない、言えない、
となっている気がします。


しかし、いまの時代、
狭い村社会にいる必要性は
必ずしもありません。


場所は自分で選択できるように
なってきていると思います。


コミュニティを自分で探すことは、
インターネットを活用すれば
できやすい環境と言えるからです。

 

だし、村社会だと言っても
必ずしもNOということが
気まずいもの、
悪いものなわけではありません。


むしろはっきりとNOと言えるほうが、
合理的です。


NOということができず
自分がイライラしてしまったり、
エネルギーを消耗してしまうのは
もったいないです。


初めてはっきりNOといわれると
なかなかビックリするというか、
一瞬、

「なんだ?!あの人!」

ってイラっとくる場合も
あるかもしれませんが、
慣れればどうってことありません。


むしろ

「あ、こういうことは嫌なんだ。
こういうことは無理なのね。」

とわかりやすくて、
とてもいいと思います。


染みついた気質は
なかなか抜けないものなので、
NOを言う訓練を身近なところから
取りいれてみるといいのかもしれませんね。

 

End