両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

価値観の押しつけをしてしまっていた!

こんばんは、ふくです!

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今日は、自分が知らず知らずのうちに、

価値観の押しつけをしていたな

と気がついたことがあったので、
それについて、話してみようと思います〜。

 

ふくの価値観

自分は、自分自身が挫折をしてから、

人にはそれぞれ事情があって、
   内側で戦っていたりもするから、
   人のことを悪く捉えることは、なるべくやめよう

と思ってきました。

 

その価値観になった経緯

具体的には。

自分は、
・自己視線恐怖症
・対人恐怖症
で、困っています。

以前までは、「○○症」とか
大々的に言うのは好みませんでした。

でも、実際問題、ほんとうに困っているので
最近は自称するようになってきています。


で。

自分は、
・視線が煩わしいわ、
・対人はしぬほど苦手だわで、
挙動不審になることが多かったです。

なので、それ自体で神経がすり減り、
勝手に疲れてしまうことも、しばしば。
ゆえに、職も続かず…。

こんなふうに、「困って」いました。


でも、
・自己視線恐怖症
・対人恐怖症
は、
「目で見てわかる」
困り事ではありません

なんで、
挙動不審になってしまっているのか?

なんで、
大したことしてないのに、
神経がすり減ってそうなのか?

なぜなのかは、自分が相手に伝えないかぎり、
相手には伝わりません


たとえば、
「車椅子に乗っている」
などであれば、
「足が不自由なのだな」
と、
「見て」分かることがでますよね。

でも、
視線恐怖症
・対人恐怖症
は、基本、
自己申告しなければ、
相手は、本人が困っているとは
わからないでしょう


ちなみに、
「目でみてわかる困り事の人たちは
いいよな!
そっちのほうが楽だよな!」
といったことが言いたいのでは、
決してありません!

対比の例として、
出させていただきました。


脱線しましたが、

自分自身が、
「目でみて」わかる困り事ではなく、
「見ただけではわからない」
困り事を抱えていたからこそ、

人にはそれぞれ、
   他者には分かりづらい困り事を
   抱えているかもしれない。
   簡単に批判したり、悪く言うことはやめよう!

こんな価値観になっていました。

 

この価値観を無意識に他者にも押しつけていた

で。
本題ですが、自分はこの、

人にはそれぞれ、

   他者には分かりづらい困り事を
   抱えているかもしれない。

   簡単に批判したり、悪く言うことはやめよう。

という価値観を、
無意識のうちに、他者にも押しつけていました


言い換えると、

人は皆、相手の事情を思慮深く配慮すべきで、
相手のことを丁重に扱うべきだ!

という思いが強すぎました。


でも、実際は、
皆それぞれ、別に、
ムカつく相手についてムカついてもいいし、
愚痴ったり、悪く言ったりしてもいいし、
イジめてもいい。

相手の自由なんですよね。


本来は、悪く言うこと、イジめることは
百害あって一利なしだと思います。

言う人にとっても、
言われる人にとっても利益はありません。


ある個人が他者のことを悪く言う、
いじめることは、

そのいじめている人が、
満たされていない

あるいは、
ヒマである

と、周りにアピールしていることと
同義だと思います。

だから、いじめている人にとっても利益はありません。

即刻、やめるべきだと思います。


とはいえ、
どう判断し、行動するかは、
結局のところ個人の自由です


みんな、そんな大真面目な話でなく、
ライトに悪く言うこともあるでしょう。

愚痴を言うことさえもNGにすると、
ストレスが溜まりまくってしまうこともあります。

適度なガス抜きは必要だと思うんですけどね。


なのに自分は、

なんで皆、勝手に人のことを判断して、
   好き勝手に悪く言うんだよ!

   その人にはその人なりの
   事情があるかもしれないじゃん!

   悪く言うなよ!!

と、感じてしまうことが多かったのです。


これは、立派な
価値観の押しつけ
なんだと、気がつきました。

 

相手には相手の選択の自由がある

相手には相手の、選択の自由があります

なので、自分も、
「人は皆、相手のことを思慮深く考え、
   配慮すべきじゃん!!」
ということを、相手に押しつけるよりも、

自分自身が、
その価値観を相手に押しつけることをやめたほうが、
よほどエネルギーの消耗は、少なくて済む。

そういったことに、気がつきました。


自分の中では、
「人は皆、相手のことを思慮深く考え、
   配慮すべき」
という考えは、正しいと思っていました

だから、皆、そうすべきだと

でもそれは、他者への押しつけだと、気がつきました。

自分が正しいと思っていることでも、
そのすべてを押しつけて、相手の反応を期待することは、
相手の選択の自由を奪っている
と改めて気がつきました。


思いがけないところで、
「相手を尊重する」
ということの、難しさと、
自分もできていなかった、ということを、
改めて実感することになりました。

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

自分は、はたと今回のことを気がついたのですが、

それまでは、自分が無意識に
「価値観の押しつけをしている」
ということは、気がつけませんでした

よかれと思っていることの中にも、
実はよく考えてみると、間違っている
ということもあるなぁ、
と感じる出来事でした


ではでは、以上です〜。

ふくでした〜!

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