両義性を保つ

生きづらさを感じる私、ふくが少しでも生きづらさを解消する考え方、分析などを発信していきます。

自己紹介2(執筆中)

こんばんは、ふくです!

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もはや取り繕っても仕方がないので、

赤裸々に書こうと思ってます!


自分もそうなんだけど、
人ってわりと、覗き趣味みたいなところが
あると思う。

覗き趣味とは、
『他人の人生がどんなふうであるのか?』
っていうことが、実は結構、気になってるんじゃないか?
ということ。


『まっっったく、興味がありません!
我が道をいきます!』

って人ももちろんいるだろうが、
実際、気になっている人も多いはず。


ということで、自分のケースを正直にここに記してみるよ!


出でよ!
私の経歴!!

…結構、甘ちゃんだよ!orz

 

埼玉の無職はここに在り!

いま、自分は埼玉の実家住まいだ。

実家寄生型の無職

無職歴はかれこれ4年近くになった。

完全にアカンや〜つ〜だ。orz

みんな、いろいろ辛いことがある中で必死にやりくりして、
自活している人たちもたくさんいる。

そんな人からしたら、自分のような人は
恵まれているし、ブルジョワだろう。

 

 

実家寄生型の無職だけど、自活経験も少しはある

ちなみに、自分も実家に出戻るまえに、
たった9ヶ月だけど自活をした経験もある。

こんな短期間だったら、したうちに入らないかもしれないが…。

このときはビンボー生活だった。

 

 

自活の時の経済事情

あとで、記録などを引っ張り出して
書きなおすかもしれないが、
いま覚えている限りで、どんな金額で
やりくりしていたか、書いてみる。↓

家賃35,000円

光熱費は、
電気ガスがそれぞれ、約3,000円代〜4,000円代
水道代も2ヶ月に1回で、4,000円代くらい。

つまり、水道代を払う月で、
だいたい12,000円前後くらいが平均だったかな。

食費は月に3〜4万円と、時々親が仕送りしてくれたりしていた。


うちの親は甘ちゃんだ。

その甘ちゃんにしっかり乗っかっているのは
自分だけどね。


それに携帯代7,000円代だったかな。

パソコンなしだったので、通信費みたいなのは携帯のみ。


税金ずっと親が代わりに払ってくれている。

年金国民年金を25歳の歳から、
親が払い始めてくれた。

あ、ちなみに自分はいま30歳で、
今年、31歳になります。

 

 

無職の前は?

無職の前は、フリーターとニートをいったりきたり


フリーター時代はどんなバイトをしてたか?
というと、

・登録制の派遣バイト
物流工場での流れ作業みたいなのが、多かった。
ベルトコンベアで流れてくる箱に、
ひたすら、商品が入った小箱を入れる、
とかそんなんだ。

ほかも色々やったから、後々書き足すかも。


・登録制のイベントバイト
たとえばライブ会場の列の整備をしたり、
企業向けのイベントの整備、
ポケットティッシュ配り、
などなど。


・バーでのバイト
バーとは名ばかりで、お酒詳しい人が
いるわけでもなかった。
ゆえに、ただ単純に、お酒出す場だった、
というだけの空間だ。
端的に言ってしまえば、やってみたかったから、やってみた、というかんじ。


・総菜屋の売り子
そのまま。総菜屋さんで総菜売ってた。

 

 

主に単発バイトを続けていた理由

主なのはこんなかんじかな??

ほとんどは、登録制の派遣バイトでやりくりしていた。

派遣のなかでも、単発のバイト

あ、一人くらししていたときは、
一箇所でのバイトをしていたけど。
ちなみに、総菜屋で。


なぜ、単発バイトばかりやっていたか?

というと、自分は高校中退、専門学校中退と、
立て続けに中退を経験している。

そして、社会不適合、社会不安症となってしまったので、
継続的にシフトに入る普通のバイトは、
やるのに自信がなかったのだ。


というか、フリーターはじめた当初は、
そば屋、次にCDレンタルショップで働いたんだけど、
どちらもあっという間にやめたくなって、
最終的に飛んでしまった。


飛んだことへの罪悪感と、
自分の不甲斐なさに情けなくなって、

「さすがに普通のバイトはもうできない…orz」

と感じて、単発バイトを主にやるようになったのだ。


「そのうち、バイトすること自体に慣れたら、
単発ではなくて、普通の、一箇所でのバイトをしよう。
慣れるまでの辛抱だ。」

と思っていたのだが、

バイト(働くこと)に慣れるなんて日は結局やってこなかった…。

 

 

ニートとフリーターを行き来しながら、絵描きをやってました

それでも、一箇所のバイトを始めてみたのが、
バーでのバイト


そのころ、自分は、フリーターとニートを行き来しながら、
絵を描く活動をしていた。


学歴は閉ざされ、将来の目標などもなく、
呆然としていたとき、

とりあえず、好きだと思えることをやってみよう!
そういや、自分はが好きだったな。

とおもって、言ってしまえば、
思いつきで絵描きの活動を始めた。


当時はmixiが全盛期のころで、
mixiのコミュニティなどで知り合った人と
メッセージやりとりしたりして交流したあと、
その人づたいに展示やイベントに行ってみるようになった。


そうこうしてるうちに、自分でも活動を始めたら、どんどん継続していった、
というかんじだったのだ。

 

で、

主にどんなところで活動していたか、というと、
クラブやバーでのイベントで、
ライブペイントをやることが多かった。

クラブとは、音楽の流れてるクラブね!


で、ライブペイントとは、一応説明すると、
お客さんのまえで、1から絵を描きあげる、
というもの。

まっさらだった紙に、お客さんのまえで
どんどん描いていって、完成させる、
というものね。


ライブペイントといっても、形態はいろいろあるんだけど、

自分の場合は、壁に紙を貼り、
イベントが夜の22時から朝方の5時まで、
とかだったので、

その間に自分で時間を見ながら、
完成させていたかんじ。


ちなみにこの活動はマネタイズしていなかったので、
完全、趣味活動だった。


時々、
「今日、お客さんの入りが良かったから!」
と言って、数千円 程度のギャラはいただいたりもあったけど、
基本はノーギャラだ。


でも自分はもともと、
『絵描きでどうこうなりたい!』
と思って、絵に参入してきた身ではなかったし、

言ってしまえば、素人だったので、
ギャランティがないことは別に良かった。


散々、
「絵で食べていきたいとは思うの?」
とか聞かれたけど、

「ん〜、まぁそうできたらいいですけどね!
頑張ってはいます!」

なんて言ってもみてたけど、
内心はほとんど、それは現実的ではなかった。


なにかしらバイトでも、仕事をして、
それで絵描きの活動と並行していく、
ということを、このころは考えていた。


着地点はわからないけれど、
目の前にやってくるチャンスをこなしていくのが楽しくて、
それで絵描き活動をするのが楽しかったのだ。

 

 

絵描き活動のなかでバーでの仕事に興味が出てくる

そんなふうな活動をしていたので、
活動の場としてよく行っていた、
バーやクラブという場所での仕事に、興味を持つようになった。


絵描き活動していたのは、都内だったけど、
ビビりだった自分は、都内のバーで
働く勇気はなかった。


なので、偵察じゃないけど、
埼玉県内のめぼしいバーで働いてみることにした。


いままで出演者として呼ばれる側だったバーだったけど、
実際、働く側の、内側の立場になったら、
どんな景色が見れるんだろう?

そういったことも、実際自分が
働いてみることで、見てみたい!!
と感じて、バーで働くことにしてみたのだ。


ここでは、ダメな自分でも愛情もって接してくれた上司もいて、
いる人たちはいい人たちが多かったようには思うけど、
そもそも接客は自分にとったら、
ハードルが高すぎたorz

9ヶ月程度でやめた。

このときは飛ばなかった。(それが普通だねw)


でも、辞めたときには、結構、呆然としてしまっていた。

やっとやってみた、一箇所のバイト。

しかも、絵描き活動の延長線上になりうる、バーでの仕事。


でも、自分にはダメで、継続できなかった。


このころから、少しずつ、

あれ?自分は筋金入りの社会不適合なのでは…?
ダメだ、仕事というものを継続できる気がしない…。

と思うようになっていた。

 

 

(執筆中)